晩秋の公園素晴らしい。2005年12月03日 23時31分

家事にでも充てようと思っていた土曜ですが、ふと広いところへ出掛けたくなったので、時期を逃したと思って諦めていた昭和記念公園の秋を訪ねてみることにしました。今年は秋が遅かったとはいえさすがに12月、遅すぎるかと思いきや、イチョウだけでなくカエデも一部は葉が残っていて、晩秋の風情を満喫できました。曇り空で肌寒い中でしたが、その分サイクリングも空いていて気持ちよかったです。

ひょっとすると紅葉の最盛期を逃したおかげかと思える拾いものも少々。どうやらエコアートみたいな名前で呼ばれるもののようですが、草木を使った野外彫刻がそこここに置かれていました。草月会のものが多くて、ひそかに草月支持者である身としては嬉しい限り。そんな中にまぎれて、こんなお茶目なでんでん虫も!
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かわいい!

昭和記念公園に来る時は西立川の駅で降りてすぐに原っぱや「こどもの森」方面に向かってしまうので、西洋庭園風の広大なエントランスがある立川口方面にはほとんど行ったことがないのですが、今回はサイクリングコースを隅々まで回るついでで、足を伸ばしてみました。
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なんかこう、モニュメント越しに立川のビジネス街が見えるという景観設計も、なかなか壮観です。この広大なモールを歩いて門の方に向かってみると…おお、準備が進んでいますよ、有名なクリスマスイルミネーション。シャンパングラスタワーの噴水も組み上がり、水を通して最終確認中といった感じです。一度見に来たいものですが、うーん、子連れさんはお呼びでないかなあという気もします(寂)。
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園内の紅葉は、サイクリングコース沿いもさることながら、やはり日本庭園でしょうか。かなり散ってはいたものの、こんな見事な紅葉のカエデの木を見つけたり。
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それから池に映る雪吊りも素敵です。そもそもこの地で本当に雪吊りが必要か、という疑問はいつも持つのですが、美しいからよいのです、多分。
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たっぷり園内周遊を楽しんで自転車を返却したあとは、閉園まで少し時間があるので、これまた普段は素通りしてしまう池の周りを散策。人工の池の風景にはあまり興味を引かれなかったのですが、歩いてみるとこれもこれで気持ちいいです。丁度空も晴れ渡ってきて、池に映る夕映えも、暮れなずむ空に映える木のシルエットもきれいです。晩秋の公園、素晴らしい。また来年も来ますね(ってオニが笑いますよ?)。
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超短編的忘年会。2005年12月03日 23時47分

さて、昭和記念公園で夕暮れを見届けたその晩。いつもお世話になっている超短編競作サイト「500文字の心臓」の忘年会オフに出掛けてきました。待ち合わせの品川駅のコンコースは藤色のイルミネーションでライトアップ…って、しかしどう見ても藤棚にしか見えません! 地味〜。

全6名という、このサイトにしては小ぶりの集まりだったのは、先月20日に文学フリマに合わせて盛大なオフがあったばかりのせいと思われます。文学フリマ、行けなくて残念…特に、遠来の人にはお会いしてみたかったなあ。

とはいえこの6名、盛り上がりました。という詳細は主催のみねぎし氏の報告に詳しいです。わけわかんないですかそうですか。すみません、きっと私もわかるようには書けないので、これでごめんなさい。photoそれより何より、何が何でもこの日参加する理由の一つであった、この日の「お買物」を紹介せねばなりません。いくつかありますが、まず何たってタカスギシンタロ作・イワミヒロキ絵による絵本「きみだれぼくへび」です。これ、タイトルと作者だけで期待十分だったのですが、期待以上の面白さです。どこか大手が出してくれないかしらん。それからもちろん、同時に買った「超短編マッチ箱vol.5『朧』」も傑作揃い、たなかなつみ作の超短編封筒6通セットも、じっくり読んでてまだ2通残してますが、たなかワールド炸裂で素晴らしいです。

タカスギ作品とたなか作品のすごさについて、ご存じない方のためにここで何か語りたい気もするのですが、そういうのは先入観を植えつけるだけの結果にもなりがちなので、悩ましいですねえ。やはり実際の作品を見ていただくのが一番よいかと。手っ取り早くは、ご両人のMSGP参加作品がいずれもテンション高いのでお勧めです。タカスギ作「土を運ぶ」、たなか作「腐りゆく」などから入られてはいかがでしょう。

ともあれ、文学フリマに行けないからとタカスギさんにお取り置きを頼んでおいた甲斐が本当にありました。皆さんも是非機会を見つけて買いましょう!

些事の極北・シークレットバトン。2005年12月11日 21時05分

そんなわけでこんなわけで。「500文字の心臓」管理人のみねぎし氏からあやしげなバトンが回って来たので、調子に乗って答えてみようと思います。題して「シークレットバトン」。質問を伏せて答えるのがお約束です。…が、まあ、きつい冗談がダメという方はご覧にならないほうがよいかも。というわけで、別の場所に本文は置きました。興味のある方はどうぞ。

シークレットバトンへの回答

体を動かすと体が思い出す。2005年12月18日 22時31分

泳ぎに行くのが3週間あいてしまいました。こうなるともう「継続的に運動している」とは言えない状況です。週1回、せめて月3回を維持したいところですが、なかなかそうも行かず。とはいえ、継続的な運動と言えるレベルに至らなくても、ジムと水泳をこなすと体が思い出すことがあります。

ジムメニューは丹念にストレッチすることから始めるのですが、ストレッチをすると、体のどの部位にムリが掛かっていたかがてきめんにわかります。今の自分だと、背中の右側あたりです。多分、カバンを持つときの無意識の癖と、通勤電車でのムリな姿勢があいまっての結果だと思われます。ともかくこれがわかったら、その部位と周辺がじんわり血行よく暖まるまで、念入りにストレッチです。

マシンエクササイズも、ムリが掛かれば負荷を落としたりなどしつつ、痛めないように実行します。そして泳ぐのですが…最近嬉しいのは、これだけ間があいても泳ぎ続けることを面倒くさく感じないことです。泳ぎってそういうもんなんでしょうか、以前何ヶ月もあいた時はさすがに100mごとに息が上がっていましたが、今はそうでもなく。ゆったりとクロールを続けながら、水に浮くときにヘンな力みがないかを気にする余裕すらあります。

一通りのメニューをこなして服に着替えるときには、適度にほかほかして全身が活性化された感じがします。なので、終わった瞬間は週一回来ようと思うのですが、なかなか難しいもんです。

こどもの領分に分け入ってみる。2005年12月18日 23時53分

そろそろ息子のピアノ発表会の課題を決める時期になりました。まだ先生からの提示はないのですが、今やっている湯山昭『お菓子の世界』のフランス近現代風味が本人は気に入っているようなので、ちょっと思い切ってドビュッシーの「ゴリウォグのケークウォーク」なんかどうか、とネタ振りをしてみたところ、食らいつきの良いこと! 確かに、この曲のポップキッチュなテイストは子供にも魅力的に映るに違いありません。まあ、難易度的にはさすがに先生からストップが掛かるかもしれませんが、そのときはきっと近現代モノから何かカッコいい曲を探してくださることでしょう。いい先生につけて息子はシアワセモノだと思います。

などというやりとりをするうち、ふと「ゴリウォグ」の入っている『こどもの領分』全曲を聴きたくなって、久々に鳴らしてみました。…そうか。ドビュッシーでもこれは技術的になんとか手が届きそうだ、それにかわいいしキレイだし。ということで、思い立って楽譜を買って来ました。全6曲ありますが、とりあえず技巧的に複雑なものは後回しにして(笑)、1.「グラドゥス・アド・パルナッサム博士」、5.「小さな羊飼い」、そしてピアノピースで持っていた6.の「ゴリウォグ」などを試し弾き。なかでも「小さな羊飼い」は今まであまり意識しなかった小品ですが、技巧的にはシンプルでありつつ、テンポや強弱の制御をきちんとなぞると、美しい息遣いの起伏が立ち現われて、その魅力を再認識した次第です。

そこでちょっと問題が立ち現われました。というか、以前からちょっと気にしてはいたのですが、うちにある録音はパスカル・ロジェのもので、どうも拍節感や緩急の制御が甘い、というか緩すぎるのです。楽譜をなぞって鳴らしてみると、改めてその弊害がはっきりわかります。どんな感じかというと、複付点8分音符と32分音符だったら、音価は7:1であるべきなのですが、これをロジェは平気で3:1で弾いてしまうんですね。これはどう考えても作曲者の意図を曲げている。テンポの制御もそうで、特になにも指示がなくてもルバートしていたりする。敢えて淡々と弾くべきところがそうなっていると、何かとても安っぽく聞こえて、ちょっとげんなりします。じゃあ何故そんなロジェを買ってしまったのかと言うと、デュトワとの共演盤のラヴェルの協奏曲が良かったからなのですが、思えばそれは「ともかく指はよく回る」ロジェが、テンポ制御には人一倍うるさいデュトワと組んだから良かったわけで、ソロになってしまえば「指はよく回るけど…?」に過ぎない、と言うことなんでしょうか。

ともかく、ドビュッシーの良い録音を探すという宿題があったのは思い出したので、何とかせねばです。何かお薦めはありませんか?

心に掛かるあれこれ。歳末ですし。2005年12月23日 14時01分

久々に休日の昼間を、部屋で一人ゆっくり過ごしてます。寒いですが日ざしは暖かで、窓際のPCの場所は気持ちのよい光につつまれてます。毎日がこんなふうに穏やかだったらいいのに。皆さんはいかがお過ごしですか?

12月はどことなく、溜まりに溜まった社交活動のために忙しさに拍車が掛かった感があります。といっても本当に私的な社交は超短編忘年会と、恒例の親兄弟との年末会食くらいのもので、あとは職場関係のものばかりだったりしますが。普段は目処が立たないので延び延びになっていたのを、年末を理由に無理やり入れたり、海外から旧知の名物男がやって来たり。気持ちいいメンバーの会ばかりだったので楽しくはあったのですが、その分仕事に皺寄せという感は否めなく、うーん。一長一短でしょうか。

このあおりであまり動けなかったのが、学童保育の新設要望や民間委託化問題の対応です。すみませんすみません。まあ、なにも今月に限った話ではなく、仕事のピークのたびにごめんなさいしてた一年ではありました。それでも他の皆さんのご尽力で新設の議会陳情は採択まで漕ぎつけました。本当にありがとうございます。正念場はこれからですが(採択から開設まで何年も掛かった例もあったので)。

それにしても、もう一つの民間委託化が頭の痛い問題です。以前書いたように、どう考えても委託の枠組を作る気などさらさらないまま委託の実績だけ作ろうというのが見え見えのでたらめな進め方なのですが、それでも淡々と事は進んでいます。いやもちろん当該クラブの父母は反対しているんですが、今の行政の態度、特に保育園委託化の際の居直りぶっちぎりを見てでしょう、いくら言ってもしょうがない、というあきらめ感もあるやに聞きます。ただ、思うにこれ、単一父母会で頑張ったところで限度がある、ということから来てるのだとすると、「明日はわが身」の他のクラブの父母が一緒に声を上げることが非常に重要になってきます。

とはいえ、何をやっていいのかわからない、それに言ってどうなるものでもないのでは…といった空気はあるように思います。私だってそんな気分になることはしょっちゅうです。がしかし、それこそ行政の思うつぼだと思うんですよね。あきらめたら負けです。じゃあ、何からやって行けばいいのか。その答えは多分、「まとまった運動をやろうとか気負わずに、思いついた人が思いついたときに、思いついたことをやる」なんじゃないかと。

…雑、ですかねえ。雑かも知れないんですけど、とにかく騒ぐしかないんじゃないかと。確かに、ただ騒ぐだけだと運動の着地点が見えなかったり、思いがけない方向に行ったりするリスクはあるんでしょうが、結局のところ、こうした動きが発火点に達しないことには大きな声にはならないんですよね。そして多分、発火点に達するためには「そこらにある燃えそうなものをとにかく何でもくべる」しかないんじゃないでしょうか。お鍋をかけて美味しい味に仕上げるのはそれからでも遅くはないんです。多分。

とりあえず、体があかない分を、当事者関係者の皆さんには失礼であることを承知でほざいてみました。何かのヒントになればよいのですが。なるかなあ。

ベーシストデビューします。という程のものかどうか…2005年12月26日 00時37分

唐突にみねぎし氏から「ベースを弾いてくれないか」と誘われました。っても人前でベースを弾いたのは、思い起こせば高校の室内楽以来、つまりそれはベースではなく「コントラバス」だったりする有様で、本当に私なんぞでいいのかと疑問に思いつつも好奇心には勝てず「いいっすよ」と思いっきり答えてしまった次第。

25日の夜はその第一回目の合わせでした。予習用に貰った音源は、アコギ・ジャンベ(ボンゴのようなパーカスの一種)、龍笛(!)というアコースティックな組合せなのに対し、今回はギターもエレキでドラム、ベースとのトリオ編成なので、一体どんなベースラインを付けたらいいのか悩みつつ、21時の練習開始を前に某所でアイリッシュビールで夕食。iPodで予習曲を聴きながらも、店内のディスプレイに映る全日本フィギュアの女子フリーに目は釘付けです。すごい戦い。誰が勝ってもおかしくないという緊迫感に後ろ髪を引かれつつ練習へ。

さてどうなることか、という不安も、ドラムスのjinさんの叩き出すファンキーなビートで吹っ飛びました。絶妙に変化をつけつつステディなビートを繰り出すjinさんのドラミングのお陰で、予習している時には音型が定まらなかった部分すら自然にフレーズが湧き出してくるような感じで、上手い人と演るって本当にいいなあ、楽しいなあと改めて思いました。これなら何とか本番も乗り切れそうな手応えを感じました。こんなにわかベーシストですが、みねぎしさんjinさん宜しくです。ちゃんとお約束どおりコンプを買ってロックな音にしますね。

自分を楽しませるだけの力を自分に。2005年12月31日 22時37分

さる友人への賀状に「今年(2006年)の標語、決めました。『趣味は実益』。」と書いた途端、彼が日記に「プロのノンプロとして生きる」と書いたので、あ、何か似たことを感じてるのかも?と、ちょっとビックリしました。

趣味は実益、などとは人を喰ったような言い草ですが、でも今年ずっと色んな場面で思ったことから出た言葉ではあります。息子にピアノを習わせていますが、始めたのはこちらから指示したのではなく、彼が自分で言い出してからでした。丁度保育園の卒園のときで、卒園式の父母からの歌のプレゼントを私が伴奏したのがきっかけだったようです。それから今まで、もちろん子供が練習熱心でばかりいられるはずもなく、やめるやめないで揉めたことは数知れずあります。でも多分それでも続いていて、今でもそれなりに意欲があるのは、元々始めた動機が彼自身の「楽しみ」だったからに他ならないと思うんです。

かなり進度の速い生徒なのですが、だからといって別にピアノの道に進もうとは思っていないようです。しかし、それでいいと思うんです。ピアノが楽しくて、自分と親しい人をいつでも楽しませられるだけの腕があればどんなにいいだろう。日銭を稼げる技術を身につけることももちろん大切でしょう。でも所詮仕事は仕事、自分を裏切ったり妥協を迫ったりするもんです。そんなときに、誰彼が支えてくれなくても自分を支えることができるだけの「エンタテイメント」の術を手中に収めておくこと。どんなときにも気持ち的に追い詰められず、心に潤いと余裕をもって生きて行けるために、これほど大事なことはないんじゃないでしょうか。

そう考えたとき、ひるがえって自分はどうだろう、と思うとこれが心許ない。まずはピアノ、それから超短編や雑俳。でも時間的な余裕がなくて、思うほどにはできない一年でした。来年どこまでこだわれるか。「趣味は実益」のモットーを梃子に、どうにかズブズブ沈んでしまわないようにしたいものです。